院長プロフィール

愛歯科原田診療所院長  原田 博己 _MG_8076

 

 

 

 

 

 

 

自分の口だと思って、診察させて頂きます。

《略  歴》

1956年  東京都武蔵村山市生まれ
1981年  広島大学歯学部卒業
1981年  防衛医科大学校附属病院歯科口腔外科助手
1983年     医療法人 愛歯科診療所 入所
1991年  医療法人 愛歯科診療所 理事就任
1999年  愛歯科原田診療所 開設

現在に至る


院長プロフィール

1956年4月東京都武蔵村山市で生まれました。

実家は村山大島紬という絹織物の製造をしています。

父は伝統工芸士として江戸時代後期からの伝統の技を引き継いで来ました。

今は兄も文化の伝承士として2代続いての伝統工芸士として活躍しています。

わたしの小さい頃は両親とも夜遅くまで織物製造に励んでいました。

そんな両親をみて幼少期を過ごしていました。

ただ両親は働くことを楽しんでいたのでしょうか、つらそうな顔を見た覚えはありません。

そうして子供たちを自由に育ててくれました。

子供たちのやることに対して反対もせず支えてくれたこと本当に感謝しています。

私も自分の進路について、自分の選んだ道を進ませていただきました。

東京都ではありながら電車の通らない田舎町です。

小学校から外部の私立中学に進む人は学年で私一人でした。

次男には好きな道を歩ませてあげたいという親心だったのでしょうか?

朝はバスに40分近く揺られ立川駅に出て、そこから中央線で一駅先の国立にある桐朋学園中学高校へと通わせてくれました。

毎日楽しく通学していました。

次男の気安さからか大学は関東からかなり離れた広島大学に進むことになりましたがこのときも両親は快く喜んでくれました。

大学に入り一つの大きなターニングポイントがありました。

入学式の後の学部長の挨拶の中でした。

まだ歯科の何もわからない時に当時の井上時雄学部長の

『歯学部は歯学部をなくすために存在する』

という言葉でした。

虫歯の洪水のごとくの時代に歯学部を国の方針として造設していました。

そのような時に聞いた言葉です。

究極的なことですが、早い話、虫歯がなくなれば歯学部の存在は不要ということでした。

すなわち治療だけに目を向けずに予防の意識を持てということです。

今から40年も前の話です。

このことは私がこの歯科の道に足を一歩踏み出したばかりに味わった鮮烈な記憶として残っています。

そのことが頭から離れず、大学時代には無歯科地区研究会にも所属し、広島の県北の町に毎夏付属病院の先輩の先生方と訪問し、子供たちの虫歯予防の活動に6年間続けて参加しました。

大学時代にはもう一つのターニングポイントがありました。

それがDr.ビーチの提唱されていた水平位診療との出会いでした。

学生時代にいくつかの歯科医院を見学させていただきましたが、どこも先生が立って診療していました。

本当に不自然な姿勢で診療されていました。

幸い広島大学は先の井上教授のお陰で大学としては早期に水平位診療に取り組んでいました。

ただハードはそろっていても残念ながらそれを使いこなすソフト、指導者はそろっていませんでした。

大学では水平位診療のいろはは学ぶことができませんでした。

しかしそんな時にDr.ビーチとともに水平位診療を日本に普及させようと活躍されていた広島市内で開業医の大野先生、小松先生らが身銭を切って県北の研究施設に同級生10数名を誘って1泊の研修をしてくださったのでした。

この先生方の熱意に学生として答えたいと思ったものです。

卒業時に進路を考えている時に、やはり水平位診療をしっかり学びたいとの思いと共に、口腔外科研修への思いがあり、実家から通える防衛医学大学付属病院に勤務することとなりました。

そこで2年間口腔外科の臨床を経験させていただきました。

その2年間の間にDr.ビーチの活動拠点であった熱海の愛歯科診療所の先生と出会うことになりました。

これもまた運命的出会いでした。

そして1983年結婚と同時にDr.ビーチのお膝元の熱海市愛歯科診療所に勤務することとなりました。

本格的に水平位診療を学ぼうと思ったわけですが、その中身は想像をはるかに超えた内容でした。Dr.ビーチという偉大な先生の考える歯科医療を突き詰めたいと思いました。

 

 

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